すきまブログ

すきま時間に書いてます。

旦那とのコロナ自粛の日々を振り返ってみた

緊急事態宣言が出た時、私は妊娠7ヶ月頃ではそろそろ安定期も終わり、妊娠後期に差し掛かるかという時期だった。産休は5月の下旬からだったので不安を感じながらも普通に職場には行っていた。幸いにも電車通勤ではなかったのが救いだった。

 

できれば有給休暇を使ってゴールデンウィーク明けぐらいまで休ませてもらえないだろうかと相談しようと思っていた矢先、ありがたいことに職場の配慮でとりあえずゴールデンウィーク明けまで給料も保障されたまま休めることになった。

 

旦那はというと2月の下旬あたりからすでにテレワークになっていて、常に家にいる状態であり、その日から私と旦那の奇妙な自粛生活が始まったのであった。

 

ちなみに旦那は4月いっぱいで今の職場から他へ転職することが決まっていて、5月いっぱいは有給休暇消化で丸々1ヶ月休みの予定であった。

 

テレワークといえども仕事は仕事なので一応旦那と一緒に起きて一緒に朝ご飯を食べた。電話会議と時などは狭い家なので特に逃げ場もなく、会議の邪魔をしないように静かにしている生活だった笑

 

お昼休憩の時間になると今日はお昼どうしようか?パスタ?ラーメン?などという会話を毎日のようにして一緒にランチをする。

 

会議などがない時間は仕事の邪魔にならない程度におしゃべりしたり、時々私が散歩がてらスーパーへ買い物に行ったり、ベビーグッズを手作りしてみたりなどという生活を送っていた。

 

テレワークになってから残業もほとんどなくなったので、夜ご飯はだいたい一緒に作ることが多く、2人揃って食べることができた。そして夜のニュースで今日の感染者の人数を確認するのが日課になっていた。

 

そして夜はというと、働いていた頃は10時半ごろにはだいたい布団に入っていたのだが、仕事に行かなくていいため毎日0時過ぎに就寝という夜型人間になっていったのであった笑 

その頃FF7のリメイクを買っていたのもあって夜は2人で少しずつストーリーを進めていた。

 

最初は絶対暇を持て余すのだろうなと思っていたが、元々そこまでアウトドア派ではなかったので意外にもこの自粛生活が苦ではなく、むしろ何もしていないのにあっという間に一週間が過ぎていき、暇を暇と感じない自分に恐怖を感じていた。このままだと休み明けに仕事行くの辛いなぁーとか、私やっぱインドアなんだなとか、そんなことばかり考えていた。旦那がテレワークだったので話し相手がいるというところも大きかったと思う。旦那とずっといられる嬉しさと安心感もあり、不謹慎だがこの生活も悪くないなと感じていた。すいません。

 

休日になっても遊びに行く場所はなかったけど、旦那と手を繋いでいろんなことを話しながら近所を散歩するのが幸せだった。新しい道やお店を発見したり、公園のベンチで自動販売機の缶ジュースを飲むだけでも十分幸せだった。自粛前だったらそんなことでは到底満足できなかったに違いないのに。まぁそれはいいことかもしれない。

 

あっという間にゴールデンウィークも終わり、案の定緊急事態宣言も延長された。そしてなんと職場の方からそのまま産休に入ってくださいと連絡が来た。ヤバイ、めっちゃ嬉しい!← 旦那も5月は丸々休みなので、2人の休みがこんなにかぶるチャンスなんてなかなかないのにどこにも行けないとう悔しさは当然あったが、コロナがなければ私もここまで休めなかったことを思うと仕方ないことだな。

 

そして2人のニートのような1ヶ月が始まった笑

 

旦那も休みなので基本早くても9時起床、0時過ぎ就寝というなめた生活をしていた。そして旦那にマイクラというゲームに誘われて2人で没頭したり、散歩したり、少し凝った料理を作ってみたりなどをして毎日を過ごしていた。きっとこんなに一緒に入れる日々なんて次は老後かなというくらい一緒にいた。あまりにも一緒にいるものだから、6月から里帰りして旦那と離れ離れになったら寂しくになるに違いないと考えて寂しくなっていた。

 

緊急事態宣言もそろそろ解除かなというときに、久々に旦那と駅前でランチを食べた。その時の幸せな気分は不思議な感覚だった。外食ってこんなに幸せなことだっけ?入ったお店は普通のハンバーグ屋さんだったが、めちゃくちゃオシャレな店でデートしているような幸せな気持ちになった。ランチのあといつぶりだろうか、スタバのドリンクを飲んだ。テイクアウトのみだったが、これがまた美味しいのなんのって。その後スーパーで買い物して帰っただけなんだけど、なんというかめちゃくちゃ充実した1日を過ごした感じだった。自粛マジック?

 

5月最後の週、子どもが産まれる前に2人でディナーしたいという私のわがままに付き合ってもらい、久々に2人で桜木町をデートした。お店はほとんど空いてなかったけど、テイクアウトしたコーヒーを飲んだり、山下公園をゆっくり散歩したり、それだけで本当に幸せだった。夜はギリシャ料理屋さんに行って、客はほぼ私達しかいなくて、2人でゆっくり食事ができた。ああこんな風に2人でデートすることもしばらくお預けかなと思うと、より一層今という時間を愛おしく感じたのだった。この時の感覚はきっと忘れないだろうし、忘れたくないな。

 

6月に入って旦那は転職をして社会復帰。第1週目の土曜に私は出産のため里帰り。2人の魔法のような不思議な日々はついに終わってしまったのだった。今思えばとても貴重で愛おしい日々であったなと感じる。旦那への愛も深まったように感じる。

 

幸いなことに私達夫婦は経済的にコロナの影響も受けずにのほほんと過ごすことができ、それは本当にありがたいことであった。世の中には大変な思いをした人がたくさんいるのにこのブログを読んで不快な思いをした人がいたらごめんなさい。

一刻も早くコロナが収束することを願っています。

 

 

 

 

 

 

 

臨月の今のうちに現在の気持ちを記録しておくよ

どうも!本当に本当にお久しぶりの更新です。なんだかんだでブログの更新をサボっていたらこんなにあいてしまいました。

 

なぜ今更ブログを更新しようと思ったかというと、実は現在妊娠中で臨月を迎えていて、まだ子どもが産まれる前のリアルな気持ちを記録しておきたいなという気持ちからです。

あとは自分の気持ちを吐き出すことも目的の一つ。

 

本当は妊娠に至るまでの道のりや、妊娠初期のこととかいろいろ書き留めておきたかったのですが、もう自分でもリアルな気持ちは思い出せないくらいなので笑 とりあえずそれはおいおい書くとして今の気持ちだけ書いておこうとおもいます。

 

以下、ただ私の個人的な感情を書き殴っただけの内容になっておりますのでご注意ください笑

 

7月半ばが予定日なので、6月の第一週に実家に里帰りしました。2つ上の姉の出産も私より二週間前が予定日で控えており、すでに姉は上の子を連れて里帰りしていました。私の甥っ子にあたるその子は現在イヤイヤ期真っ只中でことあるごとにイヤイヤを連呼します。実家でのんびりするはずがまさかの私の里帰りは甥っ子の面倒を見るというハードな日々になりました笑

甥っ子はすごく可愛いし、愛おしく感じるのだが、初めての出産で自分も余裕がない中、いろいろ大変です。

子どもを産む前から子育ての大変さをほんのちょっぴりだけど体験して、私の子もこんな風になってしまったらえらいこっちゃだとまだ産まれてもいない我が子の将来に不安になるという。

 

そして子どもを育てながら仕事ができるのかも心配。ていうか仕事は元々環境の悪さから出産を機に辞めてしまおうかと本気で考えていたが、事務の先生にとりあえず産休育休とっていいと思いますよという言葉があり、結局経済面の心配から辞めることは踏みとどまったのはいもの、産休に入って仕事に行かなくていい日々が幸せすぎて逆を言えば私はあの職場が相当ストレスだったんだなということが思い知らされた。だけど今のご時世仕事を手放すのも勇気がいる。旦那の給料だけで十分やっていける家が心底羨ましいです。産まれてからしばらくお金の心配はせずに育児に専念できるとしたら子育てに対する不安もだいぶなくなるのだろうなぁー。仕事復帰する場合は子どもを0歳児クラスに入れて働いて欲しいことを職場から言われていて、7月半ばに産んで、すぐに保育園探して、10月には保育園の申請を出してなんて私にできるのだろうか。せめて子どもが1歳になるまでは家で見ていたい。いろいろプレッシャーだ。でもとりあえず産んでから考えよう‥。

 

その上お腹の方も日に日に大きくなり、病院でも少し大きめの赤ちゃんかもね言われていて、大きめってめっちゃ産むの辛そうだなとは不安になってくる日々。

 

妊娠が判明した時は10ヶ月なんてまだまだ先だし、今から痛みの心配なんてしても仕方ないし、何より妊娠したことが嬉しくて前向きな気持ちでいられた。だけど思えばあっという間に臨月。

里帰りしてきた最初の週ぐらいはまだ気持ちにも余裕がありましたが、妊娠1ヶ月前を切るといよいよかとだんだん怖くなってきだ。常に怖いわけではなくて、みんな産んでるんだから大丈夫!と妙にポジティブな日もあれば、出産の痛みって人生最大の痛みっていう人多いし、ビビりですぐ弱音を吐いてしまう自分が耐えられるものなのだろうかと怖くなってしまう時との波が激しかった。

 

何より一番不安なのは痛みがいつ来るかわからないという出産の特徴。陣痛が起こった時にどういう状況かもわからない。その時姉が入院中で母親もパートで、甥っ子と2人きりで駄々をこねられたらどうしようなどと最悪なパターンばかり考えてしまう。だったらいっそのこと出産日を決めて促進剤打っての出産の方がいい気もする。

 

そして心配性な私は産んでからのことも不安になる。自分に子育てなんかできるのだろうか。親になる資格なんてあるのだろうか。

よく父親はお腹で子どもを育てていないから産まれるまでなかなか父親の自覚を持ちにくいっていうけど、それは母親も一緒だと思う。正直産んだあとの生活が想像できないし、お腹は大きくなって胎動は感じるものの、この中に赤ちゃんがいるなんて信じられない。

病院で赤ちゃんの泣き声を聞いて我が子の顔を見たら実感湧くのかな?愛しい気持ちで溢れるのかな?

 

もちろん子どもが無事妊娠できたことは嬉しいし、幸せなことのはずなのに正直不安の方が大きい。家族が増えるのは嬉しいけど、夫婦2人でゆっくり出かけたりする時間もしばらくないのだろうなと思うと寂しくもなった。駄目は母親だ。

週末は旦那が実家まで来てくれるので、不安な気持ちなどを聞いてもらって少し落ち着くのだけど。1人になると不安になる。

 

とりあえず無事に病院まで辿りつければなんとかなる!なので助けてくれる大人がいる時に陣痛がきますようにと願う日々です。

 

姉は今日オロナミンCを飲んで陣痛を待っています。笑

2人とも母子共に健康に無事に産まれるといいな。

 

思ったままに気持ちを書き殴っただけの支離滅裂な文章でごめんなさい。もしも読んでくれた方がいたらありがとうございます。

 

また産まれたら更新しようと思います!出産がんばります!

 

もうすぐ苗字が変わる

どうもみりんです!

 

2018年9月15日に婚姻届を提出することが決まりました。

苗字が変わると思うとセンチメンタルになるみりんです。今の心境を残しておきたいと思い記事にしました。

 

現在28歳の私。28年一緒だった苗字を手放すということはなんだか自分ではなくなるみたいでとても寂しい。もちろん結婚して幸せな気持ちは確かなんだけど、父親と母親と違う苗字になるということが、親から引き離された子どものように寂しいのです。特に私は今まで実家を出たことがなかったのでなおさら。

 

子どもの頃の持ち物、例えばおばあちゃんが作ってくれた名前刺繍入りの巾着や、お母さんが名前を書いてくれたクレヨンの箱、そういうのを見ると、私は今までこの名前で過ごしてきたのにもう〇〇さんじゃなくなるんだなと切ないのだ。

 

最初はきっと病院の待合室で新しい苗字で呼ばれてもすぐに反応できないに違いない。書類に名前を書く時に旧姓を書いてしまいそうになったりするに違いない。職場で新しい苗字で呼ばれることに違和感を持つに違いない。だけどみんなそのうち慣れていくのだろうな。

 

苗字が変わっても私は私なのだ。生まれ変わるわけでもあるまいしと思うけど、何かが変わってしまうようなそんな気持ち。

旦那にはわからないのだろうな。

ていうか、どっちの苗字にするかとか話し合う場があってもいいんじゃない?笑

 

だから旦那よ。私の苗字を変えた責任は重い笑苗字変わるって結構えらいことなのよ〜。

それを肝に命じておくように笑

 

世の男性の皆様、結婚前に婚約者の元気がなかったら優しくしてあげてください♪

 

最後まで読んでくれた方ありがとうございました♪

結婚の挨拶はパートナーに対する気遣いも大切。

どうも結婚準備を進めているみりんです。

先日彼の両親へ結婚の挨拶へ行ってきました。一般的には女性側の両親へ先に挨拶に行くのがメジャーですが、私達は時間の都合やうちの両親がそういうの気にしないタイプだったので、先に彼の実家へ挨拶に行きました。

 

ぐだぐだに終わった彼の両親への挨拶

私は神奈川住みで彼は愛知、そして彼の実家は大阪というなんとも複雑な位置関係なので、お互い新幹線の座席をあわせ、新幹線の中で待ち合わせて合流しました。

 

彼いわく、もう結婚は認めてもらってるわけだし、堅苦しい挨拶は必要ないよとのことだったので、特に事前に細かい打ち合わせはせずに臨みました。

 

彼の実家に到着すると、お母さんが玄関で迎えてくれました。そこで今日はよろしくお願いしますと軽く挨拶を交わし、中に通してもらいました。そしてお父さんにも軽く挨拶をし、席に着く前に持ってきた手土産を渡しました。ここまでは特に何事もなく終わりました。

 

問題はそのあと、席に着き彼と私、彼の両親と向かい合う感じに座り、いよいよ本題かと思いきや、彼の仕事の話や、電車の路線の話などの雑談が延々と続き、向こうも特に私に話を振ってくれるわけでもなく、私はただ適当に相槌を打ったり、笑う場面では笑ったり、なんとも微妙な時間が続きました。とにかく彼が結婚についての話題を全然を切り出さないのです。いくら堅苦しい挨拶は必要ないとはいっても2人で挨拶に出向いて結婚というワードが一度も出ないというのはどうなんだ?もう少ししたら切り出すつもりなのかな?と私はだんだんと不安になってきました。

 

こういうのってネットの情報とか見る限り、男性側から切り出すものではないの??

わたしから彼と結婚させてくださいっていうのも変だよね??

途中お母さんと一瞬目が合い、これは私が何か言えってことなのかと思い、お母さんがお茶を入れに席を立ったタイミングで、ねぇ挨拶とかしなくていいの?と彼に小声で聞いてみるも、大丈夫大丈夫と返ってくる。

 

本当に大丈夫なのか?

あなたは大丈夫かもしれないけど、あなたの両親からしたら私はまだ他人だよ?わたしにも立場ってものがあるでしょ?と思ったが、ここで議論することではないので、相変わらず謎の雑談を続ける。

 

そこでお母さんが突然今後の展望は?切り出し、ほら言わんこっちゃない!お母さんの方から切り出されてしまったやんけ!と内心ドキドキする。今後について彼が質問に答えるも、またたどたどしいっていうか前々から二人で話してたプランよりも若干違うこと言ってるし、おい!自分の両親だろ?しっかりしてくれよとハラハラ。

 

曖昧な私たちのプランにご両親は特に何もいうこともなかったけど、私的にはこれはまずいのではと感じた。後から彼に聞いてみるとあの反応は好きにしていいよという感じだったから大丈夫だよとのこと。

本当に?私には若干呆れられてるように感じたけど笑

 

そして、2時間ほど経過した後、彼が時計を見て、じゃあそろそろという雰囲気になった。結局まともに挨拶できんかった!せめてもの償いに最後に席を立った時に今後ともよろしくお願いします。と一言だけお伝えしてきました。そして私たちの結婚挨拶は終了しました。

 

とても不完全燃焼な気分でした。なんていうか相手の両親がなんとも思っていないのならいいのですが、私が帰った後にあーだこうだ言われていたらと思うと、やっちまった感満載です。そして彼に対しても自分の親だからとしても決めるべきところはきっちりするべきなのではないかと感じました。

 

まぁ、終わってしまったものは仕方ないし、1つのステップが終わった安心感はあります。次は私の両親への挨拶が待っています。

反省したこと

今回の反省を元に

 

挨拶の言葉やタイミングなどを事前にしっかり打ち合わせする。

 

今後の予定についての話もする。

 

彼のフォローをする。

 

彼の大丈夫という言葉を鵜呑みにしない笑

ということを心がけて臨むことを心に決めました。

私の両親への挨拶

一週間後、今度は私の両親の元へ彼が挨拶にやってきました。今回は彼が私の家に泊まっていくことになっていたので、夜ご飯を食べながらの挨拶でした。

今回は彼に、どんな風に挨拶するの?とか私の両親が嫌がることなど、事前に打ち合わせをしてきました。

そして彼の家では完全に話を切り出すタイミングをなくした反省を生かし、食事の前に私から「ではみなさん最初にちょっといいですか?」という具合に話すタイミングを作り出しました。(私いい仕事したかも笑)

堅苦しい挨拶は最初に済ましてしまったので、私たちも家族もそのあとはリラックスして食事を楽しめたように感じます。

両親への結婚挨拶はパートナーへの気遣いが大事

やはり、こういう場ではお互いの実家でそれぞれパートナーをうまくフォローすることが大切だなと実感しました。パートナーが話しやすい環境を作ってあげたり、盛り上がりそうな話を振ってあげたりしましょう。パートナーにとっては自分の両親はまだ他人です。自分の両親への挨拶だからといって気を抜いていてはパートナーが恥をかいたり、辛い思いをすることになります。

私の体験談でした・・・。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ポスターからは想像もつかない感動作!ブリグズビー・ベアの感想

隠れた名作ってこういう映画じゃない?

なんかよくわからないけどめっちゃ泣ける!(笑)

 

評価 4.2

 

なんだか不気味でレトロな宣伝ポスターに惹かれて見てきました。ポスターからは想像もつかない展開の映画でいい意味で裏切られました。以下ネタバレありです。

 

あらすじ

赤ん坊の頃に誘拐され、偽の両親のもとで彼らが制作した教育番組「ブリグズビー・ベア」だけを見て育った25歳の青年が、初めて外界に出たことから巻き起こる騒動を描いたコメディドラマ。外の世界から隔絶された小さなシェルターで、両親と3人だけで暮らす25歳のジェームス。子どもの頃から毎週届く教育ビデオ「ブリグズビー・ベア」を見て育った彼は、現在はその世界の研究に没頭する日々を送っていた。そんなある日、シェルターに警察がやって来て、両親は逮捕されてしまう。これまでジェームスが両親だと思っていた男女は、実は誘拐犯だったのだ。ジェームスは生まれて初めて外の世界に連れ出され、“本当の家族”と一緒に暮らすことになるが……。スタッフ・キャストにはテレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」のチームが集結。ジェームスの育ての父親テッドを「スター・ウォーズ」シリーズのマーク・ハミル、カウンセラーのエミリーを「ロミオ&ジュリエット」のクレア・デーンズがそれぞれ演じる。

映画.comより引用

異常な環境で育てられた主人公

人里離れた地下シェルターのような場所で暮らし、電力も自家発電、外に出るときはマスク、作り物の野生動物、食卓での握手の儀式、決まった時間に就寝など、誘拐犯であるテッドとエイプリルに洗脳されて育ったジェームス。そして毎週届く、ブリグズビーベアというくまのキャラクターが登場する教育ビデオ。学校にもいっていないため、読み書きや計算など、大切なことはすべてブリグズビーベアに教えてもらい、ブリグズビーベアはジェームスの世界のすべてだった。

こんな異常な環境で育ったジェームスでしたが、赤ちゃんの頃に誘拐されたため、この生活になんの疑問も持たずに生活していた。そんな環境で25年間もで過ごした人間が突然、外の世界に連れ出された時の戸惑いはすごいだろうなと感じました。

ジェームスに身体的虐待は行っていなかったものの、テッドとエイプリルがしたことは異常なことで、彼らなりにジェームスに愛情を持っていたようではありますが、なんにしても歪んだ思考の持ち主達ですよね。なんともコミカルに描かれていますが、実際にこんな人たちがいたらかなり怖いです・・。

 

ブリグズビーベアという存在

ジェームスはブリグズビーベアの研究を趣味とし、その研究をネットに流したり(実際にはあの家ではネットは繋がっておらず、フォロワーだと思っていた人たちもテッドとエイプリルが演じた架空の人物でしたが)とにかくジェームスにとってブリグズビーベアは自分の一部のようなもの。テッド達が逮捕された時も自分の生い立ちよりもブリグズビーベアの続きが見れない事の方にショックを受けていました。
自分を誘拐した男が作り出したブリグズビーベアという存在は本来であれば、憎きものであるはずですが、ジェームズにとっては生きる希望。外の世界の生活に戸惑うジェームスに再び活力を与えてくれたのは皮肉なことにブリグズビーベアでした。

家族の苦悩

家族にとってブリグズビーベアは憎き誘拐犯を思い出す存在です。なので、ブリグズビーベアの映画作りに熱中するジェームスを見るのはさぞかし複雑な気持ちだったことでしょう。ジェームスを理解しようとする反面、いつまでもテッド達の影から逃れられずになかなか前に進めないもどかしさを感じていたように思います。
しかしラストでは仲間たちと映画作りに励むジェームスの幸せそうな様子を見て、あんなに嫌っていたブリグズビーベアを受け入れてくれたシーンは見ていてほっこりしました。ブリグスビーベア自体には罪はないですもんね。
 あとは妹と和解するシーンもなかなかジーンときます。最初から割と終盤までジェームスのことを避けていた妹ですが、ブリグスビーベアの映画作りを通して、ジェームスとの溝が埋まっていくシーンはよかったです。
 家族を引き裂いたのもブリグスビーベアでしたが、家族の絆を深めてくれたのもまたブリグズビーベアでした。

登場人物たちがみんないい人

基本的に悪い人は出て来ません。誘拐犯であるテッドとエイプリルでさえ、そこまで悪人ではありません。その中でも特にいい人だったのはスペンサーと刑事かなと思います。
刑事はブリグズビーベアの証拠品をこっそり分けてくれたり、映画の役も引き受けてくれたり、スペンサーは映画を作るというジェームズの夢を最初から笑うことなくCG作りなどたくさん協力してくれました。この二人の存在なくして映画の完成はできなかったと思います。だんだんとみんなが本気でいい映画を作ろうと気持ちを1つにして奮闘する姿がよかったです。特に刑事が最初はそこまで乗り気ではなかったのに、昔の夢を思い出し、役を演じきるシーンはよかったです。

マークハミルの存在感

マークハミルとはいえば、ルークスカイウォーカー(笑)今回も地下シェルターに暮らしているシーンなどではどこか未知の星に住んでいるようでどことなく、ルークの姿を思い出してしまいました。映画全体を通して登場シーンはそこまで多くないものの、なかなかの存在感でした。やっていることは異常なのですが、根からの悪人ではなくどこか憎めないというキャラクターを見事に演じていました。映画作りの中でも重要は役割を担っていたし、重要なシーンに登場して映画全体を締めてくれるとても貴重な役だったと思います。

これは青春を取り戻す映画

25年間監禁状態だったジェームスは普通の若者が経験するであろう事を何一つ知らない。恋も遊びも痛みも知らないジェームスですが、映画作りを通して、うまくいかない葛藤や恐らく初恋であったであろうスマイルシスターズを演じていた女性がすでに子持ち主婦だったなど、様々な現実を知ることになります。初めてブリグズビーベアーの映画を公開するときにまわりの評価が気になり、会場に出て行くことを躊躇するでシーンは、誰もが抱く恐怖やプレッシャーを初めて実感する場面で、本当は情けないシーンだけれども、とても暖かい気持ちで見ることができ、何より泣けます。そして最も泣けたシーンは最後に映画が無事に終わり、喝采を浴びるジェームスをブリグズビーベアーの幻が見守っていて、少しずつ姿が消えていくシーン。

25年間一緒だった、ブリグズビーベアーとの別れはジェームスが過去を断ち切り、大人になったということであり、思わず号泣してしまった。映画館でもすすり泣く声がところどころ聞こえた。

 

こんな人におすすめしたい

 

最近グッとくる映画見てないなぁー。

周りの目が気になって息苦しい。

爽やかな涙を流したい

 

そんな人がいたらぜひぜひブリグズビーベアーを観てみてください♪

最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

2度見ることをおすすめしたい!「万引き家族」の感想と考察

安藤サクラの演技が圧巻!

1度目より、2度目。噛めば噛むほど味がでるするめ映画

 

評価 4.5

 

是枝裕和監督がカンヌ映画祭パルムドールを受賞したことにより話題になった映画「万引き家族」の感想と考察です。1発目の映画レビューですが、全体的に何がいいたいかわからないみりんワールド全開の記事となっておりますがお許しください( ;∀;)(笑)

 

 

あらすじ

三度目の殺人」「海街diary」の是枝裕和監督が、家族ぐるみで軽犯罪を重ねる一家の姿を通して、人と人とのつながりを描いたヒューマンドラマ。2018年・第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、日本映画としては1997年の「うなぎ」以来21年ぶりとなる、最高賞のパルムドールを受賞した。東京の下町。高層マンションの谷間に取り残されたように建つ古い平屋に、家主である初枝の年金を目当てに、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀が暮らしていた。彼らは初枝の年金では足りない生活費を万引きで稼ぐという、社会の底辺にいるような一家だったが、いつも笑いが絶えない日々を送っている。そんなある冬の日、近所の団地の廊下で震えていた幼い女の子を見かねた治が家に連れ帰り、信代が娘として育てることに。そして、ある事件をきっかけに仲の良かった家族はバラバラになっていき、それぞれが抱える秘密や願いが明らかになっていく。息子とともに万引きを繰り返す父親・治にリリー・フランキー、初枝役に樹木希林と是枝組常連のキャストに加え、信江役の安藤サクラ、信江の妹・亜紀役の松岡茉優らが是枝作品に初参加した。

映画.comより引用

映画の見どころ

全体の感想として安藤サクラさんの演技がとにかく素晴らしかったです。そして日常を切り取ったかのような自然な演技と細かい伏線など、今回も是枝ワールド全開な内容でした。雰囲気としては「誰も知らない」のような社会の闇に触れている部分が多いので、「そして父になる」のような感動を求めている方には少し向かない内容かもしれません。
この映画を見て感じたことや気になったシーンやそれに対する自分なりの考察などを書いていきたいと思います。物語の核心に触れていくので、以下思いっきりネタバレありですのでご注意ください。

万引き家族を繋いでるものとは

是枝監督の作品である「そして父になる」なるでは、育ての親か、産みの親かというわかりやすいテーマでしたが、今回は誰一人血の繋がりも、戸籍上の繋がりもないばらばらの他人同士がひとつ屋根の下に暮らすというなんとも異質な内容です。この不思議な関係を繋いでいるものは、お金なのか、寂しさなのか、愛情なのか、私が思うに全部正解なのではないでしょうか。はっきりとした理由はないにせよ、何かのタイミングで出会ったもの同士のそれぞれの求めるものがうまく一致し、自然とこういう形になったとだと思います。私が思うに、他人同士が親密になる理由は一言では言い表せられないものが多いと思います。

友人関係ひとつとっても、出会ったタイミングであったり、一緒にいて楽しいとか、寂しいからとか、この人と仲良くすると得だからとか、たくさんの要因が絡まりあい、その理由が綺麗なものだろうが汚いものだろうが、お互いになにかしらのメリットがあるからこそ一緒にいることが多いと思います。そしてそのメリットがなくなったとき、その関係を終わらせることもできます。

しかし唯一家族という関係は、夫婦は別として、血のつながりがあれば成立します。つまり、友人関係は関係の入り口がお互いの利害関係の一致などですが、家族は関係の入り口が血のつながりという絶対的なもので、友人関係とはそもそも関係の入り口が真逆です。何が言いたいのかというと・・・友人関係の場合、例えば好きだから仲良くするというような感じですが、家族は血のつながりがあるから仲良くしようとするといった具合でしょうか。血のつながりという絶対的なものがあるからこそ、たとえ家族のことが嫌いでもその関係を断ち切るのは難しいのだと思います。

血のつながりがないからこその絆

映画のシーンでりんが本当の家族のもとに戻らない選択をしたときの、信代の「自分で選んだ方が絆は強いよね」という言葉が印象的でした。子どもは自分の意志で親を選ぶことはできないけど、万引き家族と一緒にいることの選択は間違いなくりんの意志であり、好きだからとか、居心地がいいからとかここにいたいというなんらかの理由があってからこそのものなので、血の繋がりだけで成立してしまう家族の関係よりも、確かな絆なのではないかなと感じました。

治と祥太の絆

終盤で治という名前は本名ではなく、祥太という名前が治の本名ということが判明しました。取り調べの際になぜ、拾った男の子に自分の名前をつけたんですかと問われるシーンがありましたが、その理由について話そうと口を動かした瞬間に場面が変わるという演出がされていました。なので見る人の想像にまかせるということなのでしょう。本当の理由はわからないにせよ、普通自分の名前をつけるってその子に愛着がない限りやりませんよね。そういった意味で治は祥太に愛情を持っていたのは間違いないと思います。そしてこれは私の想像ですが、祥太を自分の分身=息子のように感じていたからこそだと思います。実際に二人で一緒にいるシーンは実の親子のように感じられました。しかし、治のことを素直にお父さんと呼べなかったりなど、祥太自身一歩ひいているようなところはありました。

施設に行った祥太とアパートで一夜を過ごすシーンは、一緒に雪だるまをつくったり、同じ布団で寝たりなど、本当の親子のようでしたが、治はお父さんからおじさんに戻ると祥太に告げます。祥太を思っての言葉でしょうが、祥太はきっと見捨てられたような感覚だったのではないでしょうか。そしてもう一緒にいられないことを悟ったのではないでしょうか。だからこそ最後のバスのシーンで「わざとつかまったんだ」と治に言い残したのではないでしょうか。実際には祥太が捕まったのはりんを守りたかったからであり、計算された行動ではなかったはずですが、自分の意志でやったということで、万引き家族からの決別、あとは治に罪悪感を抱かせないための祥太の優しさを表しているのかと感じました。バスと隣を走って追いかけてきた治の方をあえてみないようにしていたシーンからも感じ取ることができます。

信代とりんの絆

信代の腕にあるアイロンの跡や、「好きだから殴るなんて言うのは嘘だよ」「母親というものが憎かった」というシーンからわかるように信代自身も過去に母親から虐待を受けていて、似たような境遇をもつ2人。特に一緒にお風呂に入ってお互いの傷跡を見せ合うシーンが印象的でした。りんが信代の傷跡を撫でてあげ、信代が「ありがとう」という場面では二人にしかわからない絆のようなものを感じました。

このシーンがりんが本当の親の元に戻されたあと、母親の顔の傷を撫でて怒られるシーンにつながっていると思います。信代と母親に対し、同じことをしても一方には「ありがとう」と言われ、一方には怒られるという二人の人物の対比を表現しているのではないでしょうか。そして実の母親に「ごめんなさいは?」と脅されても謝らなかったり、「服買ってあげるからこっちおいで」という言葉にのらなかったりんの行動は、りんの中のあの家で信代と過ごした時間がそうさせたのだと思います。実際に最初に万引き家族の家に来たりんはおねしょをしただけでごめんなさいを連発していたし、祥太に「お母さん、服買ってくれるから優しいんだよ」ということを言っていましたが、自分が悪くないときは謝らなくていいということや、服を買ってくれるということは本当の優しさではないということを学んだのだと感じました。万引き家族との交流でりんは成長していき、信代の教えはしっかりとりんの中に刻まれているのを感じました。

初枝と亜紀の絆

この二人に関しては初枝の元夫の孫娘という、全くの見ず知らずの他人という関係ではないというところが違いますね。亜紀はいつも初枝と同じ布団で眠っていたり、「何か嫌なことでもあったの?いつもより足が冷たいから」「おばあちゃんにはなんでもわかっちゃうんだね」といったシーンからわかるように本当の祖母と孫のような印象を受けました。

初枝が死んでしまったときも亜紀が一番心の底から悲しんでいたように感じました。取り調べのシーンでなぜあの家に住んでいたのかと問われたとき、初枝が一緒に住まないかと誘ってくれたからだと答え、初枝の目的がお金だといわれて亜紀がショックを受けるシーンがありましたが、初枝が死んでしまったので本当のところはわかりません。

これも想像でしかありませんが、もしかすると最初は少なからずとも元夫の浮気相手の家庭をお壊したいという思いはあったかもしれませんが、お金が目当てではなかったと思います。初枝が亜紀の自宅にお線香をあげに行った際、亜紀の両親に亜紀は今どうしているかと尋ねるシーンがありますが、両親曰く亜紀はオーストラリアに留学していることになっています。もし亜紀が初枝の家にいることを両親が知っていればこの会話はおかしいし、亜紀を預かっているからお金をもらうという関係も成立しないと思われます。きっと亜紀が出て行ったことを世間体を気にして周囲には留学していることにしているといったところかなと思いました。

初枝が亜紀に対しての愛情はあったのかという点ですが、私はあったと思います。亜紀からはお金を取っていなかったし、亜紀が源氏名を実の妹の名前であるさやかにしていると話したときに、「そんな名前つけるなんて意地が汚いね。誰に似たんだろうね~」といった感じのことを言ったとき、最初は元夫の浮気相手のことを言っているのかなと思いましたが、後から考えたときにこれは初枝自身のことを言っているのでないかなと感じました。血のつながりはなくとも亜紀にどこか自分を重ねていて実の孫のように思っていたのではないかなと思いました。

お父さん、お母さんと呼ばれてみたいという設定

監督はこの設定で泣かせてくるに違いない、きっとオチはこれだなと思っていた私ですが、1度目の観賞のときは「ん?そういえばこの設定どうなった??もしかしてすごく大事なシーン見逃した??」と正直なんかオチ微妙じゃないって思ってしまいました(;'∀')。

 

だからこそ悔しくて二度目の観賞に臨んだわけですが・・。そこに着目して見た結果、あ~、もしかしてそういうことなのかな?という自分なりの結論にたどり着くことができました。そして1度目とは比べ物にならないくらいの感動がありました。ラストの受け止め方も変わりました。

わかりにくいけど、ちゃんと祥太にお父さん、りんにお母さんって呼ばせてるよね?(りんのほうはもしかしたら違うかもだけど、祥太はほぼ確実)

問題のシーンですが、ラストで祥太がバスに乗っているシーンでも治が走ってきたほうを振り返りながら、口を動かすシーンがあります。あとは(もしかしたら違うかもしれませんが)りんが最後にベランダで遊んでいるシーンです。

問題のシーンになり注意深く祥太の口元を見てみると、確かにお父さんといっているように見えるな。そしてお父さんと呼ばせるなら演出的にも最高のタイミングだなと感じたので。でもお母さんと呼ぶシーンはないんだなと、そのままラストのりんのシーンになった瞬間にはっとしました。信代がお風呂で教えてくれた歌を口ずさみながら一人で遊ぶりんですが、最後の最後に台の上からベランダの外を眺める横顔が映し出されて終わるんですが、よくよく見るとりんちゃん最後に口を開いて何かを言おうとしているように見えました。私はそのとき「お母さん」と呼んだのではないかなと感じました。1度目のときはなんかちょっと腑に落ちない終わり方だなと正直思ったのですが、もし私の考えが当たっているのならば、これ以上最高の落ちはない気がします。(違ってたらごめんなさい)

名前のない関係

終盤で信代が子どもたちはあなたのことをなんと呼んでいたのかと問われるシーンで「なんだろうね。なんだろうね。」という呟きながら涙ぐむシーンは、安藤サクラさんの才能が爆発しているシーンでした。人の関係というものは家族とか友達とか恋人とか、何かしらに属しているものですが、万引き家族たちの関係はそのどこにも当てはまりません。母親とか父親とか家族とか友達とか恋人とか、そういうのには当てはまらないけど、幸せな関係ってあるんじゃないかなと感じました。

 

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました

 

 

 

 

 

 

映画レビューはじめました~。

こんにちはみりんです!

冷やし中華はじめました~。的なノリで映画についての記事も書いていこうかと思います。好きなことを記事にすることがブログを続ける秘訣ですよね♪

 

honamirin.hatenablog.com

 

上記のの記事でも軽く触れましたが、わたくし映画鑑賞を趣味としています。今回は映画の記事を書くにあたって、こんな風にしていきたいなぁ~っていうただそれだけの内容になっております。

一言に映画を記事にするといってもいろいろなものがあると思います。軽い紹介なのか、それとも考察記事のようなディープなものなのかなど。そういった大まかな方向性や、あとは私が映画を好きになったきっかけなどを書いていきます♪

 

私にとっての映画とは

私は映画好きの母親の影響からか、結構小さい頃からよく映画を見ていました。本格的に見始めたのは高校生ぐらいですかね。もちろん映画館に頻繁に行くお金はなかったのでレンタルが多かったですが。同級生が見ないであろう難しい映画を借りて優越感に浸ったり、いわゆる地味女子だったので現実が枯れていた分映画を通して青春を謳歌したり(笑)映画を見ているときの現実の世界と映画の世界のちょうど中間地点ぐらいにふわふわ浮いているような感覚が好きでした。

大学生や社会に出てからもそれは変わらなくて、悲しいことがあったときに今の私の気持ちを埋めてくれるような映画を探して観たり、なんとなく一人で落ち着きたいなってときにあの映画館のほどよい暗さとあのなんとも言えない空気を求めて足を運んだり。うまくいかないことが多い時ほど、たくさん映画を見て、癒されて、映画は私の人生に欠かせない存在です。

映画ブログを書こうと思ったきっかけ

思えば私はこれといった特技もなく、そんな私が人よりも少しだけ誇れること、それはほんの少し映画に詳しいこと。(笑)ただどんなにいい映画を見て、そのときいろいろ感じたり考えたりしても、時間が経てばその興奮も薄れてしまいます。どんなに感動しても、それがなかったことになってしまうようで、それってすごくもったいないことなのではと感じていました。何かその映画をみて何かを得たという証のようなものが欲しいのと。あとは基本的に話をするのが上手ではないため、友達とかに好きな映画についてここがよかったとか、あそこは私はこう思うなどと感想を言い合うときにもうまく言葉にできないことが多くあります。なのでその映画を見て自分はどう思ったのかとか、そういったことを整理するという面でも映画ブログを書きたいなと思いました。
あと、私自身が人の映画の感想や考察などを読むのが好きで、こういう解釈もあるのかとか、こういう背景があるのかとか勉強になることが多いので、私もそんな記事を書いてみたいと思ったからです。

好きなジャンル

特に好きなジャンルはヒューマンドラマ、恋愛、ミュージカル、あとはミステリーやスリラーですが、基本的には何でも見ます。強いて言えばアクション映画はあんまり見ませんが・・・。あとは古いものも新しいものや、メジャーなものからマイナーなものまでいろいろ見ます。自分がいいと思ったものは記事にしたいと思うので、なんでいまさらこの映画?というものも記事にするかと思います(笑)
あと、私は現在の自分の感情に当てはまる映画を見て感傷に浸る傾向があるので・・(笑)ゆくゆくは「仕事がうまくいかないときにおすすめの映画」とか「失恋したときにおすすめの映画」とか、そういうまとめ記事てきなものもやっていけたらいいなと考えています。自分の心を埋めてくれるぴったりな映画を探すお手伝いをするのも夢です。

ネタバレについて

基本的にネタバレありでいきたいと思います。やはり、映画について深く語るにはネタバレなくしては、ただの軽い映画の紹介になってしまいそうなので。でもあまりにも物語の核心に触れてしまう、重大な内容について書く場合は、ネタバレ注意などの、注意書きを入れるようにしたいと思います。ただし、例えばおとぎ話のように最初からわかりきったストーリーや、予告などである程度の内容が読み取れるものなどはわざわざ注意書きは入れないのでご了承くださいませ。

評価について

基本評価することは苦手なのですが・・。評価は映画を選ぶうえでの判断材料になると思うので、誠に恐縮ですが、一応評価もしていこうかと思います。5点満点でつけていきたいと思います。だいたい星3で普通、星4あたりからとてもおすすめとか、そんな感じで思ってもらえたらOKです。どうしても批判することが苦手なので評価は甘口になると思いますが(;´・ω・)まぁそもそもあまりにもひどいと思った映画は記事にしないと思いますが(笑)。

そして基本的に映画の評価というものは、見た時の心境や年齢によって日々写りかわっていくものだと思っています。例えば子どもの頃見たアニメとか失恋したときにみた映画などのようなものは映画そのものの内容にプラスして思い出という強力なフィルターがかかっているので当然評価もあがりますよね。

そういう思い出補正がかかっているものは当然私にもあるので、なかにはなんでこの映画に星8つ?などといったものもあるからしれませんが、あくまでも私の中での評価なのでご了承ください。

さいごに

長くなりましたが、映画の記事に関してはこんな感じで進めていきたいなと思っていますので、よろしくお願いします。そしてあくまでも一個人の感想なので、そこ深く掘り下げるかというところも掘り下げたりすることもあるかと思いますが、おかしな人だなと温かく見守ってくれたら嬉しいです。(笑)