すきまブログ

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2度見ることをおすすめしたい!「万引き家族」の感想と考察

安藤サクラの演技が圧巻!

1度目より、2度目。噛めば噛むほど味がでるするめ映画

 

評価 4.5

 

是枝裕和監督がカンヌ映画祭パルムドールを受賞したことにより話題になった映画「万引き家族」の感想と考察です。1発目の映画レビューですが、全体的に何がいいたいかわからないみりんワールド全開の記事となっておりますがお許しください( ;∀;)(笑)

 

 

あらすじ

三度目の殺人」「海街diary」の是枝裕和監督が、家族ぐるみで軽犯罪を重ねる一家の姿を通して、人と人とのつながりを描いたヒューマンドラマ。2018年・第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、日本映画としては1997年の「うなぎ」以来21年ぶりとなる、最高賞のパルムドールを受賞した。東京の下町。高層マンションの谷間に取り残されたように建つ古い平屋に、家主である初枝の年金を目当てに、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀が暮らしていた。彼らは初枝の年金では足りない生活費を万引きで稼ぐという、社会の底辺にいるような一家だったが、いつも笑いが絶えない日々を送っている。そんなある冬の日、近所の団地の廊下で震えていた幼い女の子を見かねた治が家に連れ帰り、信代が娘として育てることに。そして、ある事件をきっかけに仲の良かった家族はバラバラになっていき、それぞれが抱える秘密や願いが明らかになっていく。息子とともに万引きを繰り返す父親・治にリリー・フランキー、初枝役に樹木希林と是枝組常連のキャストに加え、信江役の安藤サクラ、信江の妹・亜紀役の松岡茉優らが是枝作品に初参加した。

映画.comより引用

映画の見どころ

全体の感想として安藤サクラさんの演技がとにかく素晴らしかったです。そして日常を切り取ったかのような自然な演技と細かい伏線など、今回も是枝ワールド全開な内容でした。雰囲気としては「誰も知らない」のような社会の闇に触れている部分が多いので、「そして父になる」のような感動を求めている方には少し向かない内容かもしれません。
この映画を見て感じたことや気になったシーンやそれに対する自分なりの考察などを書いていきたいと思います。物語の核心に触れていくので、以下思いっきりネタバレありですのでご注意ください。

万引き家族を繋いでるものとは

是枝監督の作品である「そして父になる」なるでは、育ての親か、産みの親かというわかりやすいテーマでしたが、今回は誰一人血の繋がりも、戸籍上の繋がりもないばらばらの他人同士がひとつ屋根の下に暮らすというなんとも異質な内容です。この不思議な関係を繋いでいるものは、お金なのか、寂しさなのか、愛情なのか、私が思うに全部正解なのではないでしょうか。はっきりとした理由はないにせよ、何かのタイミングで出会ったもの同士のそれぞれの求めるものがうまく一致し、自然とこういう形になったとだと思います。私が思うに、他人同士が親密になる理由は一言では言い表せられないものが多いと思います。

友人関係ひとつとっても、出会ったタイミングであったり、一緒にいて楽しいとか、寂しいからとか、この人と仲良くすると得だからとか、たくさんの要因が絡まりあい、その理由が綺麗なものだろうが汚いものだろうが、お互いになにかしらのメリットがあるからこそ一緒にいることが多いと思います。そしてそのメリットがなくなったとき、その関係を終わらせることもできます。

しかし唯一家族という関係は、夫婦は別として、血のつながりがあれば成立します。つまり、友人関係は関係の入り口がお互いの利害関係の一致などですが、家族は関係の入り口が血のつながりという絶対的なもので、友人関係とはそもそも関係の入り口が真逆です。何が言いたいのかというと・・・友人関係の場合、例えば好きだから仲良くするというような感じですが、家族は血のつながりがあるから仲良くしようとするといった具合でしょうか。血のつながりという絶対的なものがあるからこそ、たとえ家族のことが嫌いでもその関係を断ち切るのは難しいのだと思います。

血のつながりがないからこその絆

映画のシーンでりんが本当の家族のもとに戻らない選択をしたときの、信代の「自分で選んだ方が絆は強いよね」という言葉が印象的でした。子どもは自分の意志で親を選ぶことはできないけど、万引き家族と一緒にいることの選択は間違いなくりんの意志であり、好きだからとか、居心地がいいからとかここにいたいというなんらかの理由があってからこそのものなので、血の繋がりだけで成立してしまう家族の関係よりも、確かな絆なのではないかなと感じました。

治と祥太の絆

終盤で治という名前は本名ではなく、祥太という名前が治の本名ということが判明しました。取り調べの際になぜ、拾った男の子に自分の名前をつけたんですかと問われるシーンがありましたが、その理由について話そうと口を動かした瞬間に場面が変わるという演出がされていました。なので見る人の想像にまかせるということなのでしょう。本当の理由はわからないにせよ、普通自分の名前をつけるってその子に愛着がない限りやりませんよね。そういった意味で治は祥太に愛情を持っていたのは間違いないと思います。そしてこれは私の想像ですが、祥太を自分の分身=息子のように感じていたからこそだと思います。実際に二人で一緒にいるシーンは実の親子のように感じられました。しかし、治のことを素直にお父さんと呼べなかったりなど、祥太自身一歩ひいているようなところはありました。

施設に行った祥太とアパートで一夜を過ごすシーンは、一緒に雪だるまをつくったり、同じ布団で寝たりなど、本当の親子のようでしたが、治はお父さんからおじさんに戻ると祥太に告げます。祥太を思っての言葉でしょうが、祥太はきっと見捨てられたような感覚だったのではないでしょうか。そしてもう一緒にいられないことを悟ったのではないでしょうか。だからこそ最後のバスのシーンで「わざとつかまったんだ」と治に言い残したのではないでしょうか。実際には祥太が捕まったのはりんを守りたかったからであり、計算された行動ではなかったはずですが、自分の意志でやったということで、万引き家族からの決別、あとは治に罪悪感を抱かせないための祥太の優しさを表しているのかと感じました。バスと隣を走って追いかけてきた治の方をあえてみないようにしていたシーンからも感じ取ることができます。

信代とりんの絆

信代の腕にあるアイロンの跡や、「好きだから殴るなんて言うのは嘘だよ」「母親というものが憎かった」というシーンからわかるように信代自身も過去に母親から虐待を受けていて、似たような境遇をもつ2人。特に一緒にお風呂に入ってお互いの傷跡を見せ合うシーンが印象的でした。りんが信代の傷跡を撫でてあげ、信代が「ありがとう」という場面では二人にしかわからない絆のようなものを感じました。

このシーンがりんが本当の親の元に戻されたあと、母親の顔の傷を撫でて怒られるシーンにつながっていると思います。信代と母親に対し、同じことをしても一方には「ありがとう」と言われ、一方には怒られるという二人の人物の対比を表現しているのではないでしょうか。そして実の母親に「ごめんなさいは?」と脅されても謝らなかったり、「服買ってあげるからこっちおいで」という言葉にのらなかったりんの行動は、りんの中のあの家で信代と過ごした時間がそうさせたのだと思います。実際に最初に万引き家族の家に来たりんはおねしょをしただけでごめんなさいを連発していたし、祥太に「お母さん、服買ってくれるから優しいんだよ」ということを言っていましたが、自分が悪くないときは謝らなくていいということや、服を買ってくれるということは本当の優しさではないということを学んだのだと感じました。万引き家族との交流でりんは成長していき、信代の教えはしっかりとりんの中に刻まれているのを感じました。

初枝と亜紀の絆

この二人に関しては初枝の元夫の孫娘という、全くの見ず知らずの他人という関係ではないというところが違いますね。亜紀はいつも初枝と同じ布団で眠っていたり、「何か嫌なことでもあったの?いつもより足が冷たいから」「おばあちゃんにはなんでもわかっちゃうんだね」といったシーンからわかるように本当の祖母と孫のような印象を受けました。

初枝が死んでしまったときも亜紀が一番心の底から悲しんでいたように感じました。取り調べのシーンでなぜあの家に住んでいたのかと問われたとき、初枝が一緒に住まないかと誘ってくれたからだと答え、初枝の目的がお金だといわれて亜紀がショックを受けるシーンがありましたが、初枝が死んでしまったので本当のところはわかりません。

これも想像でしかありませんが、もしかすると最初は少なからずとも元夫の浮気相手の家庭をお壊したいという思いはあったかもしれませんが、お金が目当てではなかったと思います。初枝が亜紀の自宅にお線香をあげに行った際、亜紀の両親に亜紀は今どうしているかと尋ねるシーンがありますが、両親曰く亜紀はオーストラリアに留学していることになっています。もし亜紀が初枝の家にいることを両親が知っていればこの会話はおかしいし、亜紀を預かっているからお金をもらうという関係も成立しないと思われます。きっと亜紀が出て行ったことを世間体を気にして周囲には留学していることにしているといったところかなと思いました。

初枝が亜紀に対しての愛情はあったのかという点ですが、私はあったと思います。亜紀からはお金を取っていなかったし、亜紀が源氏名を実の妹の名前であるさやかにしていると話したときに、「そんな名前つけるなんて意地が汚いね。誰に似たんだろうね~」といった感じのことを言ったとき、最初は元夫の浮気相手のことを言っているのかなと思いましたが、後から考えたときにこれは初枝自身のことを言っているのでないかなと感じました。血のつながりはなくとも亜紀にどこか自分を重ねていて実の孫のように思っていたのではないかなと思いました。

お父さん、お母さんと呼ばれてみたいという設定

監督はこの設定で泣かせてくるに違いない、きっとオチはこれだなと思っていた私ですが、1度目の観賞のときは「ん?そういえばこの設定どうなった??もしかしてすごく大事なシーン見逃した??」と正直なんかオチ微妙じゃないって思ってしまいました(;'∀')。

 

だからこそ悔しくて二度目の観賞に臨んだわけですが・・。そこに着目して見た結果、あ~、もしかしてそういうことなのかな?という自分なりの結論にたどり着くことができました。そして1度目とは比べ物にならないくらいの感動がありました。ラストの受け止め方も変わりました。

わかりにくいけど、ちゃんと祥太にお父さん、りんにお母さんって呼ばせてるよね?(りんのほうはもしかしたら違うかもだけど、祥太はほぼ確実)

問題のシーンですが、ラストで祥太がバスに乗っているシーンでも治が走ってきたほうを振り返りながら、口を動かすシーンがあります。あとは(もしかしたら違うかもしれませんが)りんが最後にベランダで遊んでいるシーンです。

問題のシーンになり注意深く祥太の口元を見てみると、確かにお父さんといっているように見えるな。そしてお父さんと呼ばせるなら演出的にも最高のタイミングだなと感じたので。でもお母さんと呼ぶシーンはないんだなと、そのままラストのりんのシーンになった瞬間にはっとしました。信代がお風呂で教えてくれた歌を口ずさみながら一人で遊ぶりんですが、最後の最後に台の上からベランダの外を眺める横顔が映し出されて終わるんですが、よくよく見るとりんちゃん最後に口を開いて何かを言おうとしているように見えました。私はそのとき「お母さん」と呼んだのではないかなと感じました。1度目のときはなんかちょっと腑に落ちない終わり方だなと正直思ったのですが、もし私の考えが当たっているのならば、これ以上最高の落ちはない気がします。(違ってたらごめんなさい)

名前のない関係

終盤で信代が子どもたちはあなたのことをなんと呼んでいたのかと問われるシーンで「なんだろうね。なんだろうね。」という呟きながら涙ぐむシーンは、安藤サクラさんの才能が爆発しているシーンでした。人の関係というものは家族とか友達とか恋人とか、何かしらに属しているものですが、万引き家族たちの関係はそのどこにも当てはまりません。母親とか父親とか家族とか友達とか恋人とか、そういうのには当てはまらないけど、幸せな関係ってあるんじゃないかなと感じました。

 

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました